はじめに
観た者を「不快」、「後味が悪い」、「観なきゃよかった・・・」と気分を害する効力を持った映画たち。その名も、胸糞映画。皆様は、ご覧になったことはあるでしょうか?
映画というのは毎年、多くの作品が世に出され、私たちに感動と興奮を与えてくれます。
ですがっ!!
中には、感動や興奮ではなく、最悪な気分を与える胸糞映画も誕生してきました。
そんな誰が得するか知ったこっちゃない賛否両論に分かれる胸糞映画を、この胸糞映画の沼にハマった私が4作品ほど紹介していこうと思います。作品紹介の後には、ちょっとした小ネタもあります。
これから紹介する作品は胸糞映画群の中でも、有名な4作品をピックアップしました。普段、胸糞映画に触れない方でも「名前なら聞いたことがある」といった作品もあると思います。
胸糞度が低い作品から順番に紹介していきます。つまり、後に紹介する作品ほど胸糞度が高くなります。特に、最後に紹介する作品。最後の作品は、他の3作品から一線を画す胸糞度になっています。
最後の作品がどれくらい胸糞か知ってもらうため、あらかじめ全作品の胸糞度レベルを鑑賞後の私から漏れ出た感想でお伝えします。
・1作品目→いい映画でもあったな
・2作品目→えっ?胸糞なだけじゃん
・3作品目→ああっ!もう胸糞わるいっ!!
・4作品目→・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、各作品について、語る内容は以下の通りです。
・概要
作品の公開時期、出演俳優、その作品にまつわる話等々。
・あらすじ
映画の導入部分をざっくりとネタバレなしで紹介します。
・で、どんな映画なの?
まずは、どんな映画なのかを一言で表現します。その後、私が思った感想および見所等を紹介します。
それでは、紹介していきます💨
胸糞映画その1
1つ目の作品は、ダンサー・イン・ザ・ダークです。
概要
2000年に公開された、ビョーク主演のミュージカル映画です。2000年に開催された第53カンヌ国際映画祭では最高賞であるパルムドール賞に選ばれ、主人公を演じたビョークも主演女優賞を獲得するなどの輝かしい功績を収めています。
あらすじ
舞台はアメリカのとある町。主人公のセルマは息子のジーンと二人で暮らしていました。日中は工場で働き、夜は内職と育児。その合間を縫って、趣味であるミュージカルの稽古に励んでいました。決して裕福とは言えませんが、貧しいながらも楽しい日々を送っていました。
だが、そんな楽しい日常に終わりが訪れます。実は、セルマは先天性で視力が悪く、いずれは失明することを医師から告げられており、日増しに視力は落ちていきました。さらには、息子のジーンにも視力の疾患は遺伝され、ジーンもセルマ同様に失明へと向かっていました。
せめて息子の目だけは治したい。手術費用を貯めようと仕事に励むセルマ。だが、息子の失明宣告は、これから起こる悲劇の序章に過ぎませんでした。
で、どんな映画なの?
この映画を一言で表現するならば、不幸積み重ね映画です。
この映画が胸糞映画と称されるのは、善良な心の持ち主であるセルマが次々と理不尽な悲劇に襲われることです。どんな悲劇が訪れるかはネタバレになるので言えませんが、「もうやめてあげて」とセルマに手を差し伸ばしたくなる程の胸糞レベルです。劇中では、セルマの友人たちがセルマを悲劇から救い出そうとします。その友人たちの姿が観ている私たちの気持ちと行動を代行してくれているかのような感覚になります。それぐらい、この映画は主人公に対して同情する心が強くなります。
が、結末は胸糞エンドです。
しかしながら!
このダンサー・イン・ザ・ダークは胸糞映画と評されながらも、カンヌ最高峰のパルムドール賞を獲得しています。
胸糞映画と不評を喰らっているにも関わらず、なぜパルムドール賞を獲得したのでしょうか?
その理由としては、個人的に以下の2点だと思ってます。
①セルマの我が子を思う心
②セルマの理想を映し出すミュージカルシーン
順番に説明します。
①セルマの我が子を思う心
あらすじでも触れましたが、セルマの息子ジーンは失明の危機に直面しています。悲劇がどれだけ重なろうとも、我が子の視力を治したい一心で厳しい現実に向き合うセルマに観ている者は心を打たれます。セルマに襲い来る悲劇は胸糞でしかありませんが、我が子を思う心は応援したくなります。
②セルマの理想を映し出すミュージカルシーン
この映画の随所には、スクリーンに映る役者さんたち全員が歌って踊り出すミュージカルシーンがいくつかあります。このミュージカルシーンは、胸糞映画と称されるには似合わないぐらいの明るい曲調であり、役者さんたち全員が楽しく歌っては踊ります。(どれぐらい楽しく踊っているかは、YouTubeで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と検索すれば予告編がヒットするので、それを観れば分かります。)
さて、このミュージカルシーンは一体どんな時に流れるのか?実は、主人公セルマが妄想する時です。つまり、ミュージカルシーンは映画の世界における現実の出来事ではありません。主人公セルマの脳内だけにあふれている妄想なのです。要するに、この映画は主人公セルマが見ている現実世界と妄想世界を行き来しながらストーリーが進みます。この部分が、この映画の良いところです。何が良いかと言うと、現実世界では不幸続きに気を落とすセルマがミュージカルシーンでは「こうあってほしい」と自分が思う理想を明るく描き出す姿に儚くも美しさがあるからです。悲壮な現実の壁にあたっては、理想に浸ってミュージカルするセルマの儚さと美しさに多くの観客が魅了されたことでしょう。
このダンサー・イン・ザ・ダークは観終わった後、胸糞な気分が沈殿します。ですが、主人公セルマの生き方に強く心を打たれて惹かれる内容にもなっています。胸糞映画の代名詞と称されるダンサー・イン・ザ・ダークですが、胸糞映画という枠組みだけに留まらない作品になっています。あの有名司会者であるマツコ・デラックスさんは、ダンサー・イン・ザ・ダークをオススメの映画に挙げています。このブログで紹介する映画の中では唯一、胸糞映画の鑑賞をお望みでない方にもオススメしたい映画だと私は思っています。
さて、次の作品を紹介します。もうここからは胸糞しかありません。ダンサー・イン・ザ・ダークでは、主人公に心惹かれるだのミュージカルシーンが良いだの救いのある部分がありましたが、以降の作品は何一つ救いは存在しません。「ザ・胸糞」です。それ以外を求めていけません。求めていいのは、胸糞の度合いだけです。「はじめに」の部分で話したとおり、胸糞度が低い順に紹介します。
胸糞映画その2
2つ目の作品は、セブンです。
概要
1995年に公開された、ブラッド・ピット&モーガン・フリーマン主演のサイコサスペンス映画です。
作品名となっている「セブン」は数字の「7」であり、キリスト教における「7つの大罪」から由来しています。
全米ではもちろんのこと、世界的に大ヒットした映画です。第68回アカデミー賞では、編集賞にノミネートされています。
あらすじ
舞台はアメリカのとある都市。殺人事件が発生し、ブラッド・ピット演じる新人刑事ミルズとモーガン・フリーマン演じるベテラン刑事サマセットは、殺害現場に出向きました。殺害された被害者は風船のように太った肥満体系の男性でした。
翌日、また新たに殺人事件が発生し、ミルズは現場に向かいます。被害者は大金を巻き上げていた弁護士の男性でした。現場には、被害者の近くに「GREED(強欲)」という文字が被害者の血で描かれていました。一方、昨日の殺害現場に足を運んでいたサマセット。現場にある冷蔵庫の裏に「GLUTTONY(暴食)」と文字が描かれていることを発見します。
「GLUTTONY(暴食)」、「GREED(強欲)」と続いたことから、殺害した犯人はキリスト教の「7つの大罪」に基づいて儀式殺人を行っているとサマセットは推察します。そうなれば、被害者は少なくとも5人は現れると予感します。
一体、なぜこのような犯行を興じるのか・・・。不可解ながらも、犯人の逮捕と事件の解明を目指すミルズとサマセット。だが、この儀式殺人の行き着く先は、2人に最悪な結末をもたらすのでした。
で、どんな映画なの?
この映画を一言で表現するならば、上記の画像にあるキャッチコピー「「7つの大罪」は、7人の死で完成する」の通りです。それに尽きるだけです。
さて、この映画の見所を2点ほどピックアップしていきます。
①ただのサイコサスペンス映画と油断していたら・・・
私はこの映画を「胸糞映画」という前知識だけで視聴しました。しかし、この映画は最初に紹介したダンサー・イン・ザ・ダークのように胸糞な展開が次々と起こるわけではありません。「7つの大罪」を模したグロテスクな死体と犯人や事件の真相に近づいてく展開ばかりなので、この映画を観ている途中は「なーんだ。ただのサイコサスペンス映画じゃん。どこが胸糞なんだよ」と油断していました。私は普通に推理映画を観る感覚になってしまい、「犯人は誰なの?」や「この後はどうなるんだ?」と展開の続きばかりを追っていました。
しかし!待っていたのは、えげつないラストでした。ストーリーの展開ばかりを気にしていた私ですが、ラストで我に返ります。「そうだった。この作品は、胸糞映画だったんだ・・・」と不意打ちの如く胸糞ワールドへ引きずり込まれました。良い意味と悪い意味で期待を裏切ってくれます。
②ラストはキャッチコピーそのまま
邦画の宣伝ポスターのキャッチコピーが秀逸なのです。どれくらい秀逸なのかというと、もし私に「セブンのキャッチコピー、何か考えてよー」と映画関係者に頼まれた際に、隣で聞いてた奴が「7つの大罪は7人の死で完成する、こんな感じでよくないっすか?」と言ったら、思わず嫉妬したくなるくらいです。「7つの大罪」は7人の死で完成する。たった一文だけでセブンという映画を克明に現しています。
胸糞映画は、ラストが悲惨であるゆえに胸糞映画と称されますが、このセブンはその中でも強烈な部類だと思っています。ラストシーンに到達すると、キャッチコピーである「「7つの大罪」は7人の死で完成する」の意味が解明します。もう、その時は「ぬおおおん!」と叫びたくなります。(語彙力足りなくてスイマセン。)劇中の出演者たちも「ぬおおおん!」な感じになります。
「「7つの大罪」は7人の死で完成する」の意味が気になった方は、ぜひご覧ください。ただし、一応注意しておきますが、胸糞な気分になります。
では、続いての作品に移動します。
胸糞映画その3
3つ目の作品は、ファニーゲームUSAです。
概要
ファニーゲームUSAは、1997年にオーストリアで公開された映画「ファニーゲーム」のハリウッドリメイク作品であり、2008年に公開されたサディスティック・ショッキング・サスペンス映画です。
リメイク前の作品は、カンヌ国際映画祭に出品し、上映されました。しかし、あまりにもショッキングな内容から、上映中に多くの観客が途中退出した逸話が残されています。さらに、イギリスのロンドンではビデオ発禁運動まで起こったそうです。
あらすじ
夏休みを別荘で過ごそうと計画していたファーバー家。父のジョージ、母のアン、息子のジョージーの親子3人は、愛犬のラッキーを連れて、湖が近くにあり自然が生い茂る別荘地に到着します。
別荘の隣家には、顔馴染みのトンプソン家がいます。父のジョージはトンプソン家に挨拶へ向かいました。すると、トンプソン家の住人だけでなく、ポールと名乗る白い服を着た青年がいました。
一方、母のアンは別荘のキッチンで料理をしていました。すると、ピーターと名乗る青年が訪ねてきました。ピーターもポール同様、白い服を着ています。ピーターは「トンプソンさんからファーバーさんのところで卵を譲ってきてもらうよう頼まれました」とファーバー家を訪れた要件をアンに伝えます。
アンはピーターの要望通りに卵を譲りますが、帰り際にピーターは卵を落として割ってしまいます。割った卵を片付けるアン。その最中、ピーターはキッチンの流しにアンの携帯電話を落としてしまいます。これにイライラきたアン。ピーターに対し、怒りをぶつけます。そこへジョージとポールがやってきて、アンをなだめます。
だが、ファーバー家にとって、ここからが悪夢の始まりでした。
話の最中、青年ポールはジョージの玄関に置いてあるゴルフクラブを手に持って振りかぶると、ジョージの足をめがけて・・・。
極限のゲームが幕を上げたのでした。
で、どんな映画なの?
この映画を一言で表現するならば、2人の青年が他人の命を弄ぶ映画。
それだけです。それ以上も以下もないです。あれだけ上記のあらすじを書いておいてですが、この映画は、2人の青年(あらすじで紹介したポールとピーターのこと)が他人の命を弄ぶ映画。ただ、それだけです。もうね、2人の青年の言動と行動を聞いたり見たりしただけで、イライラする(笑)最初から最後までイライラが止まらない(笑)胸糞以外の感想はない。
この映画の内容は思い出すだけでイライラしてくるのですが、見所を1点だけお伝えします。
①スリリング満点なストーリー展開!!でも・・・
一応、この映画の見所としては、「次は何が起きるんだ・・・」とハラハラするストーリー展開です。一応、この映画をジャンル分けするならば、サスペンスにあてはまるので、続きが気になるスリリングな展開になっています。
ですが、この映画は胸糞映画であり、先ほどから2回も言ってますが、2人の青年が他人の命を弄ぶ道徳観が一欠片も存在しない映画です。そのため、ストーリーを追うことに関してはハラハラさせられますが、2人の青年の言動および行動にはイライラの感情が募ります。
つまり、この映画はイライラとハラハラが常に並行する作品です。もう、「イライラ」+「ハラハラ」で「イラハラ」というジャンルを作り出したいくらい。イライラとハラハラを同時に感じて不思議な気持ちになりたい物好きの方はご覧ください。
ただ、この作品を観て、現実に起こる凶悪事件もこの映画のように無情なんだろうなと思いました。
その他の胸糞作品
さて、次で4作品目ですが、その前に箸休めとして、上記3作品と最後に紹介する作品以外に胸糞だと思った映画を一言の感想つきで紹介していこうと思います。
でんでんさんの怪演が爽快ながらも胸糞。
聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア
ラストシーンに関しては「脚本家の方でもどうオチをつけるか迷ったのでは?」と思わせる胸糞映画。
主演のエル・ファニングがかわいいけど胸糞。
「こんなの僕が知ってるキムタクじゃない」と言いたくなる胸糞。
さて、それでは最後の作品であるキング・オブ・胸糞映画を紹介します。
胸糞映画その4
最後に紹介する作品は、「僕を怪物に殺させないで」のセリフで有名なミストです。
概要
アメリカのホラー小説家スティーヴン・キング原作の「霧」を映像化し、2007年に公開されたトーマス・ジェーン主演のSFホラー映画です。
あらすじ
舞台はアメリカのとある町。トーマス・ジェーン演じる主人公デヴィッドは、8歳の息子ビリーと隣人のノートンと一緒にスーパーマーケットへ買い物へ出かけます。
スーパーマーケットで買い物をしていると、突然、店外でパトカーや消防車のサイレンが鳴り響きます。すると、血を流した初老の男性が店内へ駆け込んできました。驚きの声をあげる客たち。駆け込んできた初老の男性は、息を切らしながら「霧の中に得体の知れないモンスターがいる」と客たちに訴えます。デヴィッド含め、多くの客たちは不安を募らせます。
やがて、窓の外に濃い霧が漂い始めます。さらには、スーパーマーケットの駐車場から人間の断末魔が聞こえてきました。「霧の中に得体の知れないモンスターがいる」。初老の男性が発した言葉の意味を理解し、うろたえる客たち。やがて、店外は正体不明の霧に覆われ、店内はパニックに陥ります。そんな中、デヴィッドは襲い掛かる未知なる生命体の脅威からの脱出を画策するのでした。
で、どんな映画なの?
まず、一言でこの映画を表現する前に、この映画で流れるラストシーンを観ている私がどんな感じだったか写真で表現します。
↓こんな感じです↓
※写真はあくまでイメージであり、写真の人物は私ではありません。
続いて、スタッフロールが終了した後の私の様子を写真で表現します。
↓こんな感じです↓
※こちらもあくまでイメージです。当然、写真の人物は私ではありません。
さて、この映画を一言で表現するならば、ちょっと迷います。
失意。絶望。どん底。
多くの単語が浮かんでは消えます。
この映画は上記のあらすじ部分だけを読むと、ただのモンスターパニック映画にしか見えません。「主人公が他の客たちと一緒にモンスターを退けていく映画でしょ?」なんて思うかもしれません。しかも、2007年公開の映画なので、CGが10年以上前の技術になってます。そのため、実際にミストを観始めると、モンスターが少し安っぽい印象に見えてしまい、B級映画の匂いを感じてしまいます。
しかし!
このミストは、映画史に永遠語り継がれるレジェンド・オブ・胸糞映画です。この映画を胸糞映画と評せずして、どの映画を胸糞映画と評するのかと断言しても言い過ぎではないぐらいの胸糞レベルです。
なぜ、このミストは胸糞映画の頂点に君臨するのか。その理由を2点お伝えします。
①胸糞を通り越した衝撃的なラストシーン
ミストは、ラストシーンが胸糞であることで有名です。もう胸糞というより、胸糞を通り越して‘‘無‘‘です。無の感情に陥ります。絶句します。スタッフロールが終わっても、「なんも言えね・・・」と心の中で声なき声をつぶやくのがやっとです。衝撃的な映画体験すること間違いなし。
具体的にどのようなシーンになるのかはネタバレになるので一切言えません。ただ、ラストシーンが流れた際、雷に打たれたかのような衝撃が突き刺さります。「え?何が起きたの!」と驚くのも束の間。何が起きたか分かった時、観ている者は愕然と画面を見つめるだけの状態になります。そのまま、BGMを聴きながらスタッフロールに突入して映画は終わりを迎えます。
先に紹介したダンサー・イン・ザ・ダーク、セブン、ファニーゲームUSAはラストシーンまたはスタッフロールが流れてる最中に「うわあ、胸糞だなあ」と冷静に頭の整理が出来て「世論の通り胸糞映画だったなあ」と頷く余裕があるのですが、ミストは違います。頭の回転が起動しなくなり、思考停止します。
観終わった後、けっこう負の感情を引きずらされます。私は翌日まで引きずりました。運よくミストを観た翌日は休日であり、「今日が休みでよかった・・・」と安堵したのを覚えてます。視聴をする際には、明日が休みであることを強くオススメします。
胸糞映画を観る際の注意喚起として、【‘‘胸糞‘‘注意】と表示されますが、ミストの場合は【‘‘閲覧‘‘注意】と表示するのが正しいと思います。
これだけ聞くと、「この映画、ラストまで観たら精神的ダメージを負うから観ないほうがいいじゃん」と思うかもしれません。が、ラストシーンは胸糞ながらも観る者に「最後まで希望を捨ててはいかん」と感じるメッセージ性も含まれています。(まあ、最初に観た時は、そんなことを読み取れる余裕などありませんがね。)ミストを観終わって数日後でもいいので、このラストシーンから染み出るリアリティを感じてほしいです。
ちなみに、この作品は映画と原作の小説ではオチが違います。私は原作を読んでいませんが、原作のラストシーンは胸糞ではないらしいです。映画を製作する際に、監督が見い出して、小説の原作者にラストシーンを変更する許可をもらったという逸話が残されています。
②ラストだけじゃない!極限状態に陥った人間の心理描写
ラストシーンが胸糞で有名なミストですが、胸糞ポイントはそれだけじゃありません。
この映画、未知なるモンスターに襲われる人間たちの心理描写があまりにも生々しい点も胸糞なのです。
「いつモンスターから殺されるか・・・」。そんな死と隣り合わせの状態に陥った登場人物たちが起こす行動は様々です。その行動には、人間のエゴ・醜悪・欲望が詰まっており、本当に恐ろしいのは店の外にいるモンスターよりも感情を持った人間の方が恐ろしいと思わせてしまいます。登場人物の行動を観ていると、「おいおい、何やってんだよお前!」と強い嫌悪感を抱くことが多々あります。特に顕著なのは、熱狂的なキリスト教信者であるカモーディというキャラクターです。このカモーディの嫌悪感は、先に紹介したファニーゲームUSAのポールとピーターに匹敵します。(やっぱり役者さんの演技はすごい。)そのほか、カモーディ以外にも極限状態で狂っていく登場人物が出現します。
モンスターから命の危機に晒された登場人物が正常な判断を出来なくなる様は、現実の世界でいう自然災害に直面した人類に似ている者があります。つまり、この映画は、地球上に存在しないモンスターというフィクション要素に極限状態まで陥った人間の心理描写をリアリティに落とし込んだ作品なのです。それゆえ、極限状態に陥った登場人物たちに胸糞せざるを得ないのです。
さいごに
胸糞映画を4つ紹介しました。いかがでしたか?気になった作品または観てみたい作品を見つけた物好きな方はいらっしゃるでしょうか?
さて、最後にですが、今回紹介した作品でちょっとした小ネタを紹介します。正確にいえば、「セブン」・「ファニーゲームUSA」・「ミスト」の共通点です。「いや、共通点って、どれも胸糞映画やろ!」とツッコミを入れられそうですが、この3作品は胸糞映画というジャンル以外にも共通点があります。
私、洋画を観る際は吹き替え派です。日本人の声優さんの声を聞いて楽しんでいます。
で、私は「ミスト」→「ファニーゲームUSA」→「セブン」の順番で観ました。最後に「セブン」の冒頭を観た際、いやブラッド・ピット演じるミルズの声を聞いた時にびっくりしてしまったんですよ。
①まず、「ミスト」でトーマス・ジェーン演じるデヴィッドの声を聞いた時
私「あっ、この声は堀内賢雄さんだ」
②次に、「ファニーゲームUSA」でティム・ロス演じるジョージの声を聞いた時
私「えっ?堀内賢雄さん!また・・・」
③最後に、「セブン」でブラッド・ピット演じるミルズの声を聞いた時
私「・・・。なぜ、堀内さんがいるんだ・・・」
なんと、3作品に出てくる主演俳優の吹き替え担当が全て堀内賢雄さんだったのです。堀内さん、どんだけ仕事場で胸糞映画を観せられてんだよ(笑)こんなにも精神的にキツくなる3作品の吹き替えをこなすのは、めっちゃタフです。個人的に、堀内さんには胸糞映画吹き替え声優大賞を贈りたいくらいです(笑)
というわけで、今回紹介した「セブン」・「ファニーゲームUSA」・「ミスト」を観る際は、ぜひとも「堀内さんスゲー」と賛辞を述べてください(笑)
ちなみに、堀内賢雄さんはメタルギアシリーズの雷電役を演じていることで有名です。
それでは、さようなら💨
【追記】
もっと、胸糞映画を知りたくなった方はコチラの記事もご覧ください。