はじめに
”人生は選択の連続である”
ありきたりな言葉の羅列ですが、誰もが選択の連続で人生を過ごしているのは紛れもない事実です。この記事を読んでる皆さんも人生で多くの選択を繰り返してきたはずです。部活、進学先、就職先、結婚相手、その他もろもろ。その過程の中で、厳しい現実の壁にブチ当たったことが誰しもあるはずです。「ツライ…」や「シンドイ…」という感情を抱いたり、「思うように進まない…」と葛藤したりしたことがあったでしょう。結果はどうであろうとも、多くの苦難を乗り越えて、今の自分があるはずです。人生って、そういうものです。
はい!👏
上から目線で人生語ってスイマセンでした💦
さて、本題に戻すと、「人生には選択肢があって、選んだ先に何があろうとも、受け入れて今を生きてるよね」って話です。
しかし、苦難が巻き起こる中で自ら選択した先に待っていたのが、取り返しのつかない”絶望”だった場合、あなたならどうしますか?
というわけで、今回は、主人公がメッチャ頑張った先に”絶望”が舞い降りるモンスター・パニック胸糞映画『ミスト』を勝手に語っていきます💨ネタバレは絶対にしませんので、実際に『ミスト』を視聴して胸糞な気分になってください(笑)個人的には、今まで観てきた胸糞映画の中で、『ミスト』は他の作品に比べて一線を画す胸糞レベルです。視聴の際には、十分に注意しましょう。気分がゲキへこみになる可能性が大いに高いので、”翌日が休み”の場合のみに視聴することをオススメします(笑)
まずは、『ミスト』について概要をお話しします💨
📌作品情報
・ 監 督 :フランク・ダラボン
・公 開 日 :2008年
・受 賞 歴 :キング・オブ・胸糞映画大賞(私が勝手に付けました)
・映画ジャンル:SF、モンスター・パニック、アルティメット胸糞
・主要キャスト:トーマス・ジェーン、ネイサン・ギャンブル、宗教おばさん
📌あらすじ
舞台はアメリカのとある町。主人公デヴィッド(演:トーマス・ジェーン)は、8歳の息子ビリー(演:ネイサン・ギャンブル)と隣人のノートン(演:アンドレ・ブラウアー)と一緒にスーパーマーケットへ買い物へ出かける。
スーパーマーケットで買い物をしていると、突然、店外でパトカーや消防車のサイレンが鳴り響く。すると、血を流した初老の男性が店内へ駆け込んできた。驚きの声をあげる客たち。駆け込んできた初老の男性は、息を切らしながら「霧の中に得体の知れないモンスターがいる」と客たちに訴える。デヴィッド含め、多くの客たちは不安を募らせる。
やがて、窓の外に濃い霧が漂い始める。さらには、スーパーマーケットの駐車場から人間の断末魔が聞こえてきた。「霧の中に得体の知れないモンスターがいる」。初老の男性が発した言葉の意味を理解し、うろたえる客たち。やがて、店外は正体不明の霧に覆われ、店内はパニックに陥る。そんな中、デヴィッドは襲い掛かる未知なる生命体の脅威からの脱出を画策するのだった。
この映画の見所
”胸糞映画の代名詞”と畏怖される本作。「何が胸糞なのか?」を紹介する前に、この映画の見所を軽く書いていきます✍
この映画の特徴は、大きく分けて2つあります。
①モンスター出現後のストーリー展開
この作品は、主人公デヴィッドたちが何気なくスーパーに行き、霧が発生してからが本番開始です。ノンストップ・モンスター・パニックの幕開けです。とにかく、スリリング💨
この作品は、モンスター出現後は怒涛の展開の連続。観る者に休む暇を一切与えません。緊張感が少しも緩むことなくエンディングへ突っ走ります🏃💨そして、最悪のラストシーンに導いてくれます👍
②極限状態の心理描写
未知なるモンスターに遭遇した登場人物の心理描写も見所です。
モンスター出現後は登場人物全員が「自分は死ぬのか…」という恐怖に追い込まれ、極限状態に陥ります。その時の心理描写が、とにかくリアル。「自分は助かりたい!」という思いから、理性が効かなくなる登場人物の言動および行動は”人間の本能”を感じさせます。
「未知なるモンスターが襲来する」というフィクションの設定なのに、極限状態に陥った人間の心理描写があまりにもリアリティ過ぎて、この作品がフィクションだということを忘れてしまいます(笑)モンスターが思いっきりCGなのに(笑)
とにかく、フィクションの中に人間のリアルを感じられる作品です。フィクションとリアルが違和感なく交わっている世界観は絶妙です。ですので、この『ミスト』はモンスター・パニック映画という娯楽の域だけにとどまらない作品となっております。
まあ、言うて……胸糞なんですけどね。(詳細は後述の「💀胸糞ポイント」に記載。)
💀胸糞ポイント
見所を話した後は、肝心な部分です。
この作品は、映画史に永遠語り継がれるレジェンド・オブ・胸糞映画です。この映画を胸糞映画と評せずして、どの映画を胸糞映画と評するのかと断言しても言い過ぎではないぐらいの胸糞レベルです。
なぜ、このミストが胸糞なのか?そのポイントをネタバレなしで3点紹介します💨特に重要なのは、3番目に紹介するポイントです。
①極限により覚醒する本能
前述の「この映画の見所」で紹介した登場人物の心理描写と若干内容は被ります。ですが、ここでは胸糞な部分しか語りません。
前述では、「登場人物の心理描写がリアル」とオブラート気味に表現しましたが、突き詰めるならば、「リアル」ではなくて”生々しい”が正確な表現になります。
「いつモンスターから殺されるか・・・」。そんな死と隣り合わせの状態に陥った登場人物たちが起こす行動が生々しいです。
なぜなら、この作品の登場人物が起こすアクションが、
・エゴ
・醜悪
・欲望
・支配
と、人間の悪の部分が大量に詰まっているからです。
ネタバレ防止のため、具体的にどんなアクションを起こすのかは語れませんが、本当に恐ろしいのは店の外にいるモンスターよりも感情を持った人間の方が恐ろしいと思わせてしまいます。登場人物の行動を観ていると、「おいおい、何やってんだよお前ら!」と強い嫌悪感を抱くことが多々あります。なぜなら、モンスターという人類共通の敵がいながらも、そっちのけでガヤガヤと人間同士で争っているからです。私は、「そんなのやってる場合ちゃうやろ!」とハリセン持ってどつきたくなりましたね(笑)
特に顕著なのは、熱狂的なキリスト教信者であるカモーディというキャラクターです。このキャラクターの言動および行動は全て”狂気の沙汰”にしか見えません。演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンはスゴすぎる(笑)
そのほか、カモーディ以外にも極限状態で狂っていく登場人物が出現します。
モンスターから命の危機に晒された登場人物が正常な判断を出来なくなる様は、現実の世界でいう自然災害に直面した人類に似ている節があります。「映画の見所」でも語りましたが、この作品は、地球上に存在しないモンスターというフィクション要素に極限状態まで陥った人間の心理描写を生々しく落とし込んだ作品なのです。それゆえ、極限状態に陥った登場人物たちに胸糞せざるを得ないのです。
②恵まれなき男デヴィッド
この作品の主人公デヴィッドは”恵まれなき男”です。なぜなら、モンスター出現後、彼の下す選択肢が良い方向に進まないからです。
ネタバレ防止のために多くを語れませんが、デビッドは極限状態に陥りながらも、どの登場人物よりも懸命に危機を乗り越えようと行動を起こします。「皆でモンスターから逃れるぞー!」と絵に描いた主人公像を見せてくれます。
しかし、かわいそうなぐらい結果に恵まれません💦そして、多くの選択を繰り返したアクションの先には取り返しのつかない絶望がデヴィッドを待ち受けています。メッチャ不憫。”主人公補正を忘れてきた主人公”と評されてもおかしくありません(笑)
まあ、これが逆にリアリティがあるんですよね。だって、現実世界で災害が起きてカオスな状況になった時、自分自身はどのようなアクションが最適解なんて分からないじゃないですか。常に正解が見えない状況で行動すれば、いくらでも悪い方向に転がるなんて十分にあります。
なので、デヴィッドは、カオスな環境に陥った一般人を上手く投影させたキャラクターなのだと私は思ってます。それと同時にデヴィッドを、漫画『とっても!ラッキーマン』の主人公である、宇宙一運がない中学生・追手内洋一と重ねてしまいました(笑)
あと、どうでもいいですが、この画像の追手内洋一は、しゅはまはるみさんが映画『カメラを止めるな!』で披露してくれた護身術こと”ポン”のポーズに似ている気がします(笑)気になる方は、『カメラを止めるな!』をご覧ください👀💨
③胸糞を超越!絶望的なラストシーン…
『ミスト』の胸糞ポイント3点目にして、超重要な箇所です。
映画好きの方ならご存じかもしれませんが、『ミスト』のラストシーンは胸糞極まりないです。『ミスト』が胸糞映画のカテゴリーに含まれてしまうのは、ラストシーンが第一要因だからでしょう。
さっきから何度も言ってますが、この作品のラストシーンを短い言葉で表現するなら…
”絶望”
この2文字がピッタリでしょう……。セフィロスがやってきます(笑)
まず、文章でお話しする前に、ラストシーンを観ている私がどんな感じだったか写真で表現します。
↓こんな感じです↓
※写真はあくまでイメージであり、写真の人物は私ではありません。
続いて、スタッフロール終了後の私の様子を写真で表現します。
↓こんな感じです↓
※こちらもあくまでイメージです。当然、写真の人物は私ではありません。
モンスターの脅威や人間同士の争いに晒され、先の見えない状況下で幾度となく取るべき行動を迫られたデヴィッド。だが、それは決して良い結果に向かうだけでなく、悲劇に転ぶこともありました。まあ、人生って、そんなものです(笑)苦難の連続に、最後は報われるかと思いきや、そう甘くないのが『ミスト』という作品。最悪の現実を突きつけます💀
『ミスト』のラストシーンは、胸糞を通り越して‘‘絶望‘‘であって、”無の感情”に陥ります。スタッフロールが終わっても、「なんも言えねえ・・・」と心の中で”声なき声”をつぶやくので精一杯です。それぐらいの衝撃が体中に走ります。
具体的にどのようなシーンになるのかはネタバレになるので一切言えません。ただ、ラストシーンが流れた際、雷に打たれたかのような衝撃が突き刺さります。「え?何が起きたの!」と驚くのも束の間。何が起きたか分かった時、観ている者は愕然と画面を見つめるだけの状態になります。そのまま、BGMを聴きながらスタッフロールに突入して映画は終わりを迎えます。
個人的に大抵の胸糞映画は、ラストシーンまたはスタッフロールが流れてる最中に「うわあ、胸糞だなあ」と冷静に頭の整理が出来て「世論の通り胸糞映画だったなあ」と頷く余裕が私にはあります。しかし、『ミスト』は違います。頭の回転が起動しなくなり、思考停止します。
鑑賞後は”負の感情”に引きずらされます。私は翌日まで引きずりました。運よく『ミスト』を観た翌日は休日であり、「今日が休みでよかった・・・」と安堵したのを覚えてます。
視聴をする際には、明日が休みであることを強くオススメします。
胸糞映画を観る際の注意喚起として、【‘‘胸糞‘‘注意】と表示されますが、『ミスト』の場合は【‘‘閲覧‘‘注意】と表示するのが正しいと思います。
これだけ聞くと、「この映画、ラストまで観たら精神的ダメージを負うから観ないほうがいいじゃん」と思うかもしれません。が、ラストシーンは胸糞ながらも観る者に「最後まで希望を捨ててはいかん✨」と感じるメッセージ性も含まれています。(まあ、最初に観た時は、そんなことを読み取れる余裕などありませんがね。)
『ミスト』を観た数日後でもいいので、このラストシーンから染み出る”教訓”を感じてほしいです。
余談(製作秘話)
映画『ミスト』の原作はスティーヴン・キングが執筆した同名小説です。
実は、小説と映画ではラストが異なります。私は原作小説を読んでないから詳しく知りませんが、小説版のオチは胸糞ではないそうです。なんと、映画の胸糞なラストシーンを生み出したのは監督のフランク・ダラボンだったのです。
あの胸糞なラストシーンを思いついたフランク・ダラボン監督は、電話で原作者のスティーヴン・キングに……
👦フランク「こんな具合のバッドエンディング思いついたけど、どうよ?」
と、原作改変の提案を持ち掛けたところ……
👨スティーヴン「何それ!?メッチャ最高やん!!それでいこうぜ!!」
と、スティーヴン・キングは快諾したそうです。
なんと恐ろしい会話でしょうか(笑)
おわりに
さて、濃霧の先に”絶望”が待ち受ける映画『ミスト』を好き勝手に語りました。
さっきから何度も言ってますが、この作品のラストシーンは胸糞です。絶望に染まり、無の感情に浸ってしまいます。そのため、この作品の評価は”賛否両論”に分かれています。
確かに、ラストシーンで気分が良くなる人は基本的に存在しません。だから、不快に感じる方の気持ちは大いに分かりますし、この映画を否定的に評するのも十分に理解できます。
それらを踏まえても、私はこの作品のラストシーンが大好きです💛
理由は、前述の「💀胸糞ポイント」でも述べたように「最後まで希望は捨ててはいかん✨」というメッセージ性があるからです。
他にも、単純に「よくこんな”オチ”思いついたなあ~」と感心したからです。私は、この作品を観る前に何通りか胸糞なオチを予想していました。ですが、私の予想は全て一切かすることなく外しました(笑)『ミスト』を鑑賞したのは、胸糞映画を何作品か観た後だったので、傾向を読んでオチを的中させようと思いましたが、見事に裏切られました。それだけ、この作品のオチは予測不可能です。
予測不可能と同時に、秀逸で独創的だと思いました。もし、私が映画監督または脚本家の職に就いていたら、この映画を製作したフランク・ダラボン監督に対して、モーレツな羨望と嫉妬心を抱いたことでしょう。多分、映画祭とか何らかの会場でフランク・ダラボン監督を見かけたら、嫉妬心が抑えきれなくなり、フランク・ダラボン監督の足元に噛みついてしまうのが目に浮かびます(笑)
というわけで、『ミスト』は”胸糞映画の代名詞”と評されながらも、単純に映画として優れている作品だと思います。
心身を絶望感に染め上げる作品ですが、一見の価値はあります👀💨